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山形は上中野目(鶴岡市)の歳の神

 さあ、丸石の最後です。丸石は女陰の象徴だと主張してきましたが、山形は上中野目の歳の神でも、このことを証明してくれる女陰石をみつけました。

 JR羽越本線の藤島駅で下車。そこから、残雪の月山を目指すように農道をテクテクテク。上中野目の集落までは、およそ1時間はかかります。庄内平野は田植えの真っ最中でした。

 歳の神の小さな石のホコラは、この上中野目の集落からちょっとはずれたところにポツンとあります。探しだすのにだいぶ苦労しました。


 そうそう、歳の神は地方によって、才の神、妻の神、歳の神、塞の神、賽の神、幸の神など、漢字の表記が異なります。道祖神よりも古い性神の呼称で、「さへ」が「さい」に訛ったものです。そして「さへ」は男根の意味があります。

 それはともかく、ホコラには、石製でタマタマ(睾丸)つきの男根形にまじって、円形の自然石の下部にくっきりワレメを刻んだ女陰形も奉納されていました。


 丸石とは別物ですが、「球」や「円」は女陰を表すんだということを確信しました。

 ちなみに、こちらの歳の神には、子宝のご利益があるそうで、ときどき、子宝にめぐまれないご夫婦が、願をかけにやってくるそうです。

山梨県は牧丘町杣口の陰陽一対道祖神(山梨市)

 前回は楕円石と丸石が一体となった藤木の道祖神(甲州市)を紹介しながら、丸石は女陰の象徴であることを検証してみました。が、このケースだけで、このことを決め付けてしまうわけにはいきません。そこで今回は石柱と丸石が、仲良くお内裏さまのように並んでいる道祖神に出演願ったわけです。

県道138号線を雲法寺に向かい、杣口の集落に入ったすぐのところを左折すると、ドヒャ~と目を奪う石柱が…。注連縄が巻かれ、明らかにファルス(勃起した男根)をイメージさせます。メジャーで測ってみると、高さは242cm。ひょっとすると縄文人がこしらえた男根形石棒かもしれません。石柱のてっぺんに丸石がのっけられていますが、これって「高さ日本一」を誇るために、後世の人がやった仕業にちがいありません。というのも、長野県の佐久市にもノッポ石柱があるらしいんです。


 どうしても、この石柱に目がいってしまいますが、こちらの道祖神で重要なのは、向かって右側にある丸石道祖神とセットになって祀られていることなんです。


 この丸石道祖神は、手前に枯れ木があしらわれ、小陰唇、大陰唇のビラビラを思わせます。つまり、この丸石も女陰を象徴していることは疑いもありません。

 縄文人たちが、木の実などをすりつぶして粉にするため、中央が窪んだ石皿とすり石(丸石)をこしらえましたが、同時にこの石皿&すり石は祭器としても扱われるようになっています。

 例えば、女が死ぬと石皿&すり石を、男が死ぬと男根形石棒を一緒に埋葬したようです。つまり、石皿&すり石は女性器の象徴とみることができます。やげて、石皿&すり石は、丸石(すり石)だけで、女性器を表現するようになったとも考えられます。

奥多摩町小留浦(東京都)の姫の石観音

 前ホームトーク編集長の運転で、奥多摩から山梨県の塩山に向かいました。山梨県内の道祖神、丸石の正体を見極めようってなドライブだったんですが、道すがらこの姫の石観音にも立ち寄ってみたわけです。(丸石については次回に触れます)

 奥多摩湖に架かる深山橋をちょいと過ぎたところ。山側に『奥多摩町自然文化百選』として、姫の石観音へのりっぱな案内板があります。そこから山道を15分ほど登りつめると、石垣の上に古めかしいお堂が現れてきます。

 格子戸をガラッと両開きにすると、中にワレメもクッキリな、あきらかに女陰を思わせるご神体が、カエデの根っ子に抱えられるようにしてマン座しています。傍らには木製の男根形などが奉納され、いまでも信仰があることを思わせます。

 このお堂は、昭和37年に集落のひとたちがお金を出し合って建てたそうです。それまでは野ざらしの状態で、信仰されていたのでしょう。お堂の庇(ひさし)の下、ホラ、よく額がかかっているところに、松茸を抱きかかえる観音さま(?)の彫刻があったりします。

 伝承によりますと、子宝にめぐまれようと村の嫁の1人が祈ったところ、3日3晩にわたって豪雨が続き、大音響とともに火のかたまりが落ちてきた。それが、この姫の石観音だそうです。

 そうそう、この姫の石観音を文化財として、きちっと『奥多摩町自然文化百選』のひとつに選んだ奥多摩町に敬意をはらいます。

福岡県は水城(大宰府市)のきん麻羅さま

 性神の追っかけをやっているミネラル魚田にとって、どうしても拝見しておきたかったひとつに、水城のきん麻羅さまがあります。663年の白村江(はくすきのえ)の戦で、日本・百済が唐・新羅に大敗した直後から祀られているのではないかと推測できる、やたらと古~い性神だからです。

 「敵(唐・新羅)に攻め込まれたらひとたまりもない」とみてとった天智天皇は、国防の第一線として大宰府を設けます。そして、大宰府の西側に「水城」(みずき)という土塁が築かれるんですが、きん麻羅さまは「水城」の唯一の出入口(関所)に祀られています。

 祀られた当時は、きん麻羅さまではなく、塞の神と呼ばれていたはずです。ですから、こちらのきん麻羅さまには「さやんさま」という別名もあります。「サイ」が「サヤ」と訛ったんです。また、「サイ」「サヘ」は古語で男性器を表し、同時に「さえぎる」というニュアンスがダブっています。

 西鉄の天神大牟田線「下大利」で下車。国道3号線が「水城」と交差するところに、赤く塗られ、瓦をのっけたヤシロがあります。半畳ほどの広さ。中に男根形とおもわれるご神体が祀られ、木製男根形などが奉納されています。


 大宰府への悪霊の侵入を防いだり、官人たちの旅の安全のための役割を担っていたのでしょう。中島利一郎さんの『卑語考』(雄山閣)によると、ご当地には遊行女婦(さぶるめ)がおり、また別の意味での信仰をあつめていたようです。

韓国は江陵市(江原道)の陰陽石コレクション

 朝鮮半島の東海岸(北朝鮮の侵入を防ぐため、海岸線に沿って延々と鉄条網が張ってある)。そこから山側に車で約30分も入ったところに『ヴァレー』というホテルがあり、1階フロアに陰陽石が約70点が展示されています。


 男の名器といわれる紫色雁高(ししきがんこう)やら、四十路女の巨マンやら…。

 都市開発関係の仕事にたずさわっている金種民さんが約30年かけてコツコツと蒐集したもので、このスペースを『コチュパッ』と名づけています。「コチュ」は「トウガラシ」(男性器)、「パッ」は「畑」(女性器)という意味です。

 金さんの蒐集は韓国内だけにとどまりません。東に陰石があると聞けば頬ずりし、西に陽石があると聞けばさすってやり…。購入にかなりのお金もかけているようです。

 「1979年からです。当時、月給が200万ウオンでした。それが500万ウオンの買い物をしたりして。結婚してからは、何度も女房に叱られました」

 「自然石が1センチ変化するのに500年はかかります。ですから、私が集めたものは、何億年もかかった大自然の芸術なんです」

 金さんの話はとどまるところをしらない。そして、金さんにとって、これらの陰陽石は、金さんをささえる性神でもある。

北京のチベット仏教寺院・雍和宮(ようわきゅう)

 チベット人たちの不満に、中国政府はどう対処するか、頭を痛めているようです。で、気になるのがチベット寺院の聖地のひとつ北京市の『雍和宮』のことです。昨年の10月、のぞかせてもらいましたが、今もちゃんとチベット寺院として機能しているのかどうか心配です?

 『雍和宮』は旧城内の北側にあります。ご当地は清朝の3代目の皇帝の雍正帝が即位前に住んでいたところだそうで、4代目の皇帝の乾隆帝のとき、チベット寺院になっています。当然のことながら、チベットとの関係を深めるため、清朝が提供したんですね。

 チベット寺院なので、こちらには歓喜天という男女が交合している仏像があります。交合することで頭の中が真っ白になる歓喜、これこそが即身成仏、つまりナマ身のままで仏になれるっていう教義なんですね。その歓喜天を拝見したかったわけです。


 日本でいう宝物殿みたいなところに、歓喜天はごっそり展示してあるんですが、現在、この歓喜天が「現役」なのかどうか、勉強不足のミネラル魚田にはわかりません。ともかく、中国政府が淫らなものを展示しているなどと、いちゃもんをつけないことを願うのみです。

 ちなみに、日本にもこの歓喜天を本尊にしている寺院がけっこうあります。

韓国は国立民俗博物館(ソウル)の男根石&女陰石

 男根石&女陰石を探して、何度も韓国に足を運んでいるんですが、大事なところを見落としていました。大事なところというのは、ソウルの『国立民俗博物館』のことです。別な用件で出かけたんですが、ちゃんと敷地内の庭に鳥居の原形ともいわれるソッテ、済州島のトラハルバン(石のおじさん)と一緒に、ニョッキリ、パックリと男根石&女陰石(いずれもレプリカ)が展示されているんです。


 民俗を知る上で男根石&女陰石はどうしても「抹殺」することができないからなんでしょうね。ところが日本ではどうでしょう。縄文時代の昔からず~っと信仰してきた「性」については、すっかりボカしちゃっているんですね。

 例えば、千葉県佐倉市にある『国立歴史民俗博物館』を俎上にのせてみますと、男根石&女陰石はカゲもカタチもありません。
東北地方の性神信仰の一つに「鍾軌さま」っていう男根をニョッキリ突き出した藁人形があります。集落の出入口に飾って悪霊を追い払う役目を担っているんですが、こちら『国立歴史民俗博物館』に展示されている「鍾軌さま」からは、男根はそぎ落とされちゃっているんです。これじゃダメですよ。

それはともかく、韓国の男根石&女陰石も、やはり村の出入口に置いて、悪霊を追っ払ったようです。ただ、ちょっと違うのは陽気が強い土地であれば陰石(女陰石)、陰気が強い土地であれば陽石(男根石)を置いて、「気」を中和させたようです。

 ミネラル魚田としては、こうした性信仰は朝鮮半島、それも高句麗からやってきたのではないかと見ています。

神奈川・金山神社(川崎市)のかなまら祭り

 「かなまらァ~」「でっかいまらァ~」…。お神輿をかつぐ掛け声が見物客の笑いをさそいます。

 若宮八幡宮の境内社のひとつで、鍛冶の神さまを祀る金山神社(通称かなまら神社)の『かなまら祭り』(毎年4月第1日曜日)は、股間もスカ~ッとする、なんとも愉快なお祭りです。

 商店街を練り歩くのは巨木を細工した『かなまら大神輿』、日立造船が奉納した『かなまら舟神輿』、女装愛好者が奉納した『エリザベス神輿』の3基です。

 見物の約3割は、米軍基地などからやってきた外人サン。性に対しておおらかなんでしょうか、境内で売っている男根形のアメをペロペロ舐めながら見物する女性の外人サンもおります。

 ところで「かなまら」の「まら」のことですが、「まら」は僧侶たちの淫語で男根のことを指します。さらにその語源をたどっていくと、インドのサンスクリット語「マラ」に行きつきます。「修行をさまたげるもの」って意味なんです。

 話はかわって、金山神社のことです。この界隈は東海道五十三次の川崎宿としてにぎわっていましたが、この川崎宿で商売をしていた飯盛女たちが、商売繁盛やら性病除けやらをお願いしてきたのが金山神社なんですな。

 今年は4月4日が『かなまら祭り』です。御用とお急ぎでない方は、ぜひ行ってみてください。

東京・花園神社(新宿区)の木製男根形

 前回は東京・南泉寺(荒川区)の招客神(おまねぎさま)を紹介しましたが、ここ花園神社は威徳稲荷大明神に祀られている長さ約2mの木製男根形も、やはり招客神だろうと思われます。

 ちょっとオサライをしておきますと、招客神というのは遊女や芸者衆が、商売繁盛のために信仰した神さまで、たいがい男根形のカタチをとっています。ちなみに招き猫も招客神のひとつです。

 トンネルのように続く鳥居をくぐって、真っ赤にペイントされた男根形を見つけたときにはびっくりしました。世界に知られた繁華街にも男根形が祀られていて、いまでも信仰されているんですから…。

 たいがい男根形というのは天に向かってヌッと突き出しています。ところが、こちらのはホコラの梁(はり)の上に寝かされています。ちょっとながめただけでは存在に気づきません。鳥居と同じ色に塗られていることも考えあわせると、目立たないようにという配慮なのでしょう。

 威徳稲荷大明神は、花園神社の公式サイトによると、1928(昭和3)年にオープンしているそうです。ですから、現在の男根形が奉納されるのはそれ以降のことになります。

 もっともこうも考えられます。

 ご存知のように、ご当地は甲州街道の最初の宿場「内藤新宿」だったところ。飯盛女(表向きは給仕だが売春もする)もたくさんいました。そのころの威徳稲荷大明神は、宿場の片隅に祀られ、飯盛女が信仰してきた。
さらにこの信仰は水商売の女性たちへと引き継がれるんですが、内藤新宿の開発の波に押し出されるように花園神社に移転する憂き目にあってしまった。あくまで推測ですが、伊勢丹が新宿にオープンしたのは1933(昭和8)年のことです。

東京・南泉寺(荒川区)のおまねぎさま

 花の吉原遊郭では、夜の営業がスタートする前に、遊女たちが打ちそろって、燈明に火を灯し、陽気に三味線をかき鳴らしながら、飾り棚に祀った男根張形に願いをかけたそうです。今夜も客が来て、商売が繁盛するようにと。

 神棚のへのこ地震に鉢合せ

 つまり、この男根張形って「おまねきさま」(招客明神)なんです。南泉寺の「おまねぎさま」も、おそらくこうした信仰の対象になっていたのでしょう。

 と言って、吉原の遊女たちが信仰していたとするのは早計かもしれません。遊郭の四方には堀がめぐらされ、彼女たちは、外出を固く禁じられていたからです。おそらく近くの芸者衆が信仰していたのでしょう。


 南泉寺の門をくぐって右手に、木造づくりのホコラがあります。観音開きの格子戸を開けると、左から猛々しい男根石、右にエロっぽい窪みをもつ自然石が祀られています。


 中央に実に抽象的な岩の塊がありますが、観音菩薩が自然に顕現(はっきりと形にあらわれること)したもの、その岩の塊の下のハート形の石は、アヌスだとされています。

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